沿革
1930.3 |
黒崎健時栃木県桑村にて誕生
剣道・柔道の稽古に励む |
1945 |
終戦
空手の修行や断食・断水・不眠の行、82日間の山篭りなど多くの修行をする |
---|---|
1953 |
佐郷屋留男先生の命で大山道場へ入門 |
1958 |
本部最高師範を務めながら成増道場を開く |
1964.2 |
タイ.ルンピニースタジアムにて黒崎健時率いる最初の空手VSムエタイの
試合が行われる(黒崎健時の打倒ムエタイが始まる) |
1966 |
海外における武道普及のため単身オランダへ渡る
(格闘技王国オランダの基礎をつくる)
帰国後も雪辱の思いに駆られ打倒ムエタイのためキックボクシングに転向 |
1969.3 |
目白ジム設立 ムエタイ打倒に向け本格的に始動 |
1971.11 |
全日本キックボクシング初代王座決定戦(王者:大沢昇・島三雄・藤原敏男) |
1972.8 |
世界タイ式キックボクシング連盟フェザー級選手権試合 島三雄 勝利 |
1977.11 |
黒崎流格闘技を新格闘術と命名 |
1978. 3 |
藤原敏男、外国人初のムエタイ王者となり、ムエタイ500年の歴史に風穴をあける(ラジャダムナンライト級4回46秒KO) |
1978.8 |
マーシャルアーツ世界一決定戦 藤原敏男 勝利 (全米プロ空手も制覇) |
1978.9 |
日本格闘術連盟発足(後の新格闘術連盟) |
1978.10 |
新格闘術世界五大チャンピオン決定戦 藤原敏男 勝利 |
1979.8 |
日本キック協会、全日本キック、新格闘術による交流マッチ |
1980.1 |
新格闘術、全日本キック対抗戦開催
第1回オランダ遠征・韓国遠征 |
1981 |
第2回オランダ遠征 |
1982.3 |
ハワイにてマーシャルアーツ太平洋選手権開催 |
1982.11 |
新格闘術、日本キック協会、ナックモエ系オープントーナメント開催
~以後、青少年健全育成のため子供たちやアマチュアの指導に当たる~ |
1990.4 |
埼玉県戸田市に現在の本部道場を建設 黒埼格闘技スクールを開き子供たちの指導に当たる |
1995 |
第1回新格闘術連盟オープントーナメント(アマチュア大会)開催 |
2005 |
第10回新格闘術連盟オープントーナメント(アマチュア大会)開催 |
2006 |
プロ部門として目白ジムを再始動する |